白血病は今では不治の病ではありません!

競泳の池江璃花子選手がご自身のツイッターで白血病と診断されたと公表されました。

当サイトも8年以上経過をご報告しておりませんでしたが、ニュースなどの記事を拝見し、10年前の当時私の妻が白血病になるまで、そして病名診断前後の事を思い出しました。

当時急性白血病に罹患した妻が、10年たった現在では病気を克服して完治している事実が、池江選手の希望になればと思い報告させていただきたく、記事を投稿する事にいたしました。

それは2008年の冬でした。
2007年末よりなんだか体がだるい、微熱が下がらないと妻が訴えていましたが、それは風邪の症状だろう、冬でインフルエンザとかも流行っているしと思って過ごしていたのですが、それは少しおかしいということで2月中ごろある時近くの内科医にかかり、血液検査を受けることになりました。

私が海外に出張中の事でしたが、2月末に血液検査の結果が判り、内科医から妻に緊急の電話がかかってきたそうです。
とにかく緊急だからすぐ来てくれ、との事。何のことかよく判らないままその内科医に行くと、「急性白血病」の告知。
急を要するからいますぐここで大病院へ行きなさい。そのまま入院もしなさいとの指示。

一般的ながんの告知とは異なり、緊急度が高い為だれも心の準備がない状態での告知でした。

病名を一人で聞いた妻、私は海外に出張中であり、その心境はさぞかし複雑で絶望感にかられた事でしょう。
その日より、人生は一変。私は遠く離れた海外にいるまま、心配をさせまいと妻は私にはすぐに連絡をせず、その間実家の父母も協力をして、告知を受けたその日のうちに考えられるだけの手荷物をまとめて住んでいた川崎からまだ幼かった子供を連れて名古屋への実家へと移動し、すぐに入院することになる大病院へと移動。

遠く離れた私は、「とにかく実家近くの病院に急に入院する事になった」との連絡を受け、何か外ならぬ事が起こったのだと知った。3月3日になり帰国する事になったが、状況を完全に聞いていなかった私は帰りの飛行機も、京成スカイライナーの中でも、何が起こっているのか推測をしながら気持ちが落ち着かず、機内食も喉が通らず、とにかく帰ってがらんとなった自宅で立ち尽くし、言われた準備物をもって、帰国したその日に悲壮な気持ちで車で名古屋へと移動したことを今でも覚えている。

病院へ行き、聞かされた病名が「急性骨髄性白血病」

その日から、妻の闘病生活が狭いクリーンルームの中で始まった。医師もチームを組んで、このタイプならどんな抗がん剤をどのスケジュールで投与するのが良いのかを真剣に考えて下さり、また多くの看護師の方々と共に支えていただきました。もちろん本人は、絶望にかられる事も多かったことでしょうし、「なんで私が?」と考えたり、どれくらい生きれるのか、子供たちが成長するのを見届けられるのだろうか、子供たちの将来を案ずる事も多かったと思います。
でも「子供たちの為にも生きなければ」という強い気持ちと前向きな考えもあり、闘病生活を乗り越えていったのだと思います。

支える周りも生活が一変。
東京暮らしであった我々一家は、その日を境に実家のサポートも得られる名古屋へと引っ越しをする事になる。
そして当時まだ1歳ちょっとであった双子を見なければならない事もあり、私もその日を境に元の会社へ出社することなく、長期休暇を取りながら家族を支えることにした。

結果として、4か月の入院生活の後、血液中のがん細胞が消滅したことを確認でき、無事退院することが出来ました。
退院の目途もつき、私も東京の会社を長期休暇のまま辞めて、名古屋の会社に転職をする事ができました。
前の会社、転職後の会社にも、実家の家族にも支えられ、治療終了後の新たな生活を再開することが出来ました。

そして、それから9年たった今も妻は元気でおります。

きっと、昔に夏目雅子さんが白血病に罹患したセンセーショナルな出来事が、多くの方の脳裏に焼き付いて、そのイメージを白血病に持たれているのかと思いますが、今では不治の病ではありません。

若くしてかかったとしても、前向きにそして現代医学を信じて取り組めば、治る病になってきています。
近いうちに池江選手が元気な姿で見られることを切に願います。

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